Earthquake

R0010956地震が起きたとき、私はハノイにいました。ハノイ国家大学で集中講義をするためです。日本とハノイの時差は2時間。ハノイが日本の時間を追いかけます。9時から12時までの授業を終えて、大学の先生方と昼食に行き、大学に戻ってきたところで 、第一報に接しました。日本ではすでに午後3時半を回った時間です。日本に地震が起き、津波に襲われ、東京では交通機関が止まっている、と。オフィシャルな会談が控えていたので、そのままスケジュールを進行させました。ホテルに戻り、テレビとインターネットから情報を収集するうちに、事態の深刻さが次第にわかってきました。津波が襲いかかる様子を映像で見ました。夕食のためにロビーに降りた時、蒼白というか茫然というか、私がそんな表情をしていたと同行の研究員の方は後で言っていました。

日本からは、研究室の本や書類が崩れ落ちた様子がさっそくメールで送られてきました。帰宅できなくなった人たちがキャンパスに泊まることになったとの知らせも受けました。これまでにはなかった事態が進行していることは火を見るより明らかでした。

しかし、空き時間にはなるべく日本の情報を得るようにしつつも、日程は予定通り進めました。早めに帰国するかどうか、少し考えましたが、成田への飛行機がいつ飛ぶかわかりませんでしたし、いまここで焦っても何ともなりません。授業や訪問のスケジュールも、基本的にそのまま行うことにしました。

むしろ、迷ったのは、帰国してからのスケジュールです。予定では、15日に帰国した翌日から一泊二日でゼミ合宿があり、19日には学会発表を控えていて、さらに22日からニューヨークに行き、コロンビア大学でワークショップを行うことになっていました。東京の状況から判断するかぎり、実行可能性という点では、それほど問題はなさそうでした。

結局のところ、これらの予定はすべて延期となりました。学会については、実際に会場が使えなくなったこともあって、延期になりました。合宿とワークショップは、私自身の判断が問われたのですが、どちらも参加メンバーのうちに災害による心理的負担(あるいは「不安」)が生じていることに気づいたのが、決め手になりました。私自身は、当初、やれるのならやってしまおうか、くらいの心積もりでした。ゼミ合宿をする甲府に被害はないようだし、ニューヨークはさらに海の外だし、むしろ東京にいるよりよいかも、くらいの感覚です。

しかし、誰もがそう感じるわけではありません。また、参加者には家族もいます。残される側の心理的負担についても、考える必要がある。メールをやりとりするうちに、そのことに、はっと気づきました。こういう時は、もっとも弱く発せられる声を聞かねばならない。「いつもどおり」でない事態が起きているときは、強がって「いつもどおり」を演じる必要はない。少し立ち止まって深呼吸して、足もとと周りを見つめ直す時間をもちたい。

もう一つ、やるかやらないか自体が問題になるような状況下では、早めの決断をしたほうがいいということもありました。とくに今回の震災では、原発という予測しがたいファクターがあります。やると決断しても、最終決定にはなりにくい。そうであるなら、まず延期するのが合理的です。

ハノイから帰国する前に、ゼミ合宿は延期の決定をしました。ニューヨーク行きも、帰国翌日に延期を決めました。そのおかげで、私自身が今回の震災について、それなりに考える時間もできました。海外で、ひたすらTVとネットで情報を受け続けたことで私自身に生じた災害体験を、帰国してから消化してもいます。

こういう時に、「いつもどおり」にすることに縛られると、かえって折れやすいものです。あるいは、他者の弱さ(それは自分の中にある弱さでもあります)に気づかず、人を傷つけるだけになりかねない。これまでと違う視点や感覚を大事にすること。それによってまた自分自身あるいは自分がかかわるコミュニティの新しいありかたができるのだろうと思っています。

これからの私たちに求められているのは、「日常に戻る」ということではなく、それぞれの局面において「少し違う日常を作っていく」ということではないでしょうか。