先月末にハーバードで行ったワークショップ で話をしたときに、甲骨文字は言うなれば”殷字”であって、”漢字”としての汎用性は獲得されておらず、”漢字”の祖先であると認定できても、それが”漢字”というわけではない、ということに言及しました。英語のレクチャーだったので、”漢字”は”Chinese character”と訳したわけですが、会のあとの懇談で、中国から来た若い先生から、Chineseでないというのはどうことなのか、殷もChinaではないか、という質問を受けました。中国というのは一つの文明システムで、周から戦国にかけて成立したもの、孔子が文明の起源を周に求めるのも同じですよね、東アジアをSinographic sphereとして捉えるなら、これは重要な視点だと思います、と講演の趣旨を繰り返しました。もちろんそれは彼女もわかってくれているのですが、それでも自身の自国意識からすると、甲骨文字をChinese characterではないとする見方には抵抗を感じてしまうようです。 しかし、甲骨文字が漢字の祖型であることは事実ですが、甲骨・金文から篆書・隷書へのジャンプに意味を見いだすことで、いわゆる中国四千年とかいうのとは違った展望が得られるはずで、そこが重要なところだと思います。いろいろ話すなかで、文化としての中国と文明としての中国という説明もしました。
今回の英語原稿でも、中国をChinaとしたところもあり、the Middle Kingdomとしたところもあり、でした。日本語の文章を、こちらの先生と細かく相談しながら訳していただいたのですが(ずいぶん勉強になりました)、すべてChinaにしてしまうと、やはりおかしいのですね。システムの話をしようとしているのに、地域文化的な色彩がどうしても強くなってしまう。古典文における「中国」は、基本的にthe Middle Kingdomで訳すのですが(彼らの頭の中にChinaという概念はないです)、この場合はその方が適当なわけです。だから、漢字も、the character of the Middle Kingdomと言ったほうがいいのかもしれません。
今さらのように、中国がChinaであることの意味を考えさせられました。”支那”という語については、ずいぶん前に文章を書いてますが(『漢文脈の近代』に入ってます)、Chinaも、たぶん同じ脈絡がたどれるはずです。こうした語は、内に対しても外に対してもナショナルかつローカルな文化意識を作ってしまうわけで、しかも、いまの”中国”という語は、Chinaを経由した自国文化意識によって再定義された、近代語としての”中国”です。
まったく別の仕事で、1860年の英仏軍北京侵攻時の英語文献をこのところ読んでいました。伝統中国のシステムが破壊され、決壊していくさまは、むしろ中国語文献を読むより如実です。まだまだ考えねばならないことは多そうです。
10年ほど前奈良でお世話になりました者です・・・。
拝読していないのですが、友人よりサイトを教えてもらい
訪れて見ました。直接メール差し上げたかったのですが
アドレスが不明・・。ということでコメントを・・。
(でもコメントに堂々と本名を載せるのが憚られたので、
結局誰だか分かりませんね・・・そういえば (汗))
・・意味のないコメント書き込みですみません・・・。
齊藤先生、はじめまして。
本日(2009年2月13日)初めてこの「藝文類聚索引」というサイトがあることを知りました。
私は古代史に興味を持つ、喜寿のアマチュアです。
今までは手持ちの「藝文類聚」の中から何かの語句を探し出すのに苦労しておりましたが、これからはこの「藝文類聚索引」を大いに利用させていただきたく存じます。
ところで、
>>甲骨文字は言うなれば”殷字”であって、”漢字”としての汎用性は獲得されておらず、”漢字”の祖先であると認定できても、それが”漢字”というわけではない、ということに言及しました。英語のレクチャーだったので、”漢字”は”Chinese character”と訳したわけですが、会のあとの懇談で、中国から来た若い先生から、Chineseでないというのはどうことなのか、殷もChinaではないか、という質問を受けました。
とありますが、このような質問が出て当然かと思います。
“殷字”は“Yin Character”、“漢字”は“Han Character”というように仰れば、聴衆の皆さん方に先生の言わんとされていたことがもっと通じやすかったのではなかろうかと愚考いたします。
アマチュアが突然このようなことを申し上げて、まことに失礼かと存じますがご容赦のほどお願い申し上げます。
ご無沙汰しております。奈良の古学生です。ネット上なので実名を伏してお許しください。たまたま先生のこのサイドを見付け、勉強になりました。西洋文で古典中文の話をする不便さは先生のこの文からも窺うことができます。近代の話は別ですけれど…
「The Middle Kingdom」を以って「中原」の英訳をすることは頷きます。Workshopに出席しておりませんのでこの文章だけでは窺えないのですけれど、甲骨文字を「Chinese character」ではないとすれば、先生はどう英訳すべきと思われますか。「Character of Yin Dynasty」ですか?
そして、「甲骨文字が漢字の祖型であることは事実ですが、甲骨・金文から篆書・隷書へのジャンプに意味を見いだすことで、いわゆる中国四千年とかいうのとは違った展望が得られるはずで、そこが重要なところだと思います。」とおっしゃいますけれど、「祖型」と認めながら、「甲骨・金文から篆書・隷書へのジャンプ」に注目し、「意味を見いだすことで、いわゆる中国四千年とかいうのとは違った展望が得られるはず」というのは、つまりそこに断層があることを認め、文字乃至文化の継続性を否定するとも読み取れませんか。それは恐らくその中国の若学者が抵抗を感じた所以ではないかと推測します。
「ジャンプ」という言葉はなかなかうまく使われておられます。それを「断層」とも考えられますし、「refined」とも解釈されましょう。「断層」なら、「祖型」とは果たして認められるかも考え直さなければならないです。特に、その「断層」から甲骨・金文以後の歴史を以前の歴史から切り離すところで意義を見出すことはまったく違う、あるいは異質な文明・文化を期待するとのことでしょうか。そうであれば、「祖型」はあくまでも「型」に止まり、文化と文明の伝承はその「祖」にはあまり関係ないと理解していいでしょうか。
一方、「refined」と解釈される場合は、一般的にいう「Chinese character」に訳して、「the Middle Kingdom 」から「Sinographic sphere」への時間的地域的持続性が認められ、「祖型」と位置づけしてしかるべきと思われます。ただ、それは先生の主旨とは離れてしまうでしょう。
ちょっとした「読後感」で失礼いたしました。
齋藤です。
ブログへのコメントありがとうございました。スパムが多くて、お返事がずいぶんと遅れてしまったこと、お許し下さい。
> 「The Middle Kingdom」を以って「中原」の英訳をすることは頷きます。Workshopに出席しておりませんのでこの文章だけでは窺えないのですけれど、甲骨文字を「Chinese character」ではないとすれば、先生はどう英訳すべきと思われますか。「Character of Yin Dynasty」ですか?
>
そう思います。殷代文字、もしくは殷周文字でいいと思います。
> そして、「甲骨文字が漢字の祖型であることは事実ですが、甲骨・金文から篆書・隷書へのジャンプに意味を見いだすことで、いわゆる中国四千年とかいうのとは違った展望が得られるはずで、そこが重要なところだと思います。」とおっしゃいますけれど、「祖型」と認めながら、「甲骨・金文から篆書・隷書へのジャンプ」に注目し、「意味を見いだすことで、いわゆる中国四千年とかいうのとは違った展望が得られるはず」というのは、つまりそこに断層があることを認め、文字乃至文化の継続性を否定するとも読み取れませんか。それは恐らくその中国の若学者が抵抗を感じた所以ではないかと推測します。
継続性への留保は、あらゆる文化において(もちろん日本においても)必要な知的作業ですね。留保されつつある継続性の中で、私たちは文化を文化として作ることができるように思います。
>
> 「ジャンプ」という言葉はなかなかうまく使われておられます。それを「断層」とも考えられますし、「refined」とも解釈されましょう。「断層」なら、「祖型」とは果たして認められるかも考え直さなければならないです。特に、その「断層」から甲骨・金文以後の歴史を以前の歴史から切り離すところで意義を見出すことはまったく違う、あるいは異質な文明・文化を期待するとのことでしょうか。そうであれば、「祖型」はあくまでも「型」に止まり、文化と文明の伝承はその「祖」にはあまり関係ないと理解していいでしょうか。
複数ある「型」のうちの一つ、というところでしょうか。「祖」は唯一ではなく、複数なんですよね、常に。万世一系式の「祖」ではなく、さまざまな「祖」のうちの一つというところでしょうか。
>
> 一方、「refined」と解釈される場合は、一般的にいう「Chinese character」に訳して、「the Middle Kingdom 」から「Sinographic sphere」への時間的地域的持続性が認められ、「祖型」と位置づけしてしかるべきと思われます。ただ、それは先生の主旨とは離れてしまうでしょう。
そうですね。大事なのは、「祖型」とは常に事後的にしか認識しえないものだということです。近代以前は、甲骨文字は「祖型」ですらありませんでした(知られていなかったわけですから)。それを「祖型」と認識することで、中国文明の一貫性を語ってきたのが近代の言説だったわけで、そこからそろそろ離れてもいいんじゃないか、ということですね。