Freedom of Choice

RIMG0005_JPG  アパートの近くにショッピングセンターがあって、Shaw’sという大きなスーバーが入っています。二日か三日に一度、ここで買い物をします。驚いたのが、ポテトチップスの量と種類! ずらーっと並ぶ袋、袋。しかもいろんな味がある。

 二十年前ならともかく、いまではポテトチップスなど年に数回食べるくらい、自分で買うこともめったにない。でもアメリカではほとんどどこでもポテトチップスは売ってるし、ハンバーガーの付け合わせに出てくることもある。で、ついつい、一つ買ってみるかなという気を起こしました。

 だめです。種類に迷い、量に圧倒されて、買えませんでした。一袋買ったら、たぶん消費するのに向こう一週間はかかるだろうなあと考えると、おまけに、これ不味かったらどうする?なんて考えると、買えません。

 すごすごと引き下がって、オーガニック&世界の食品コーナーをうろうろしていると、小さな袋があったので、ようやく買いました。味? ポテトチップスはポテトチップスです。でも美味しかったですよ。トムヤムクン味にしたのが成功か失敗かはわかりませんでしたけど。

 とにかく大量に、多種類を。このスーパーにいると、時々くらくらします。そして時々思うわけです。これは訓練なんだな、と。おまえは自分で種類を選べるか? 適正な量を判断できるか? たぶん、スターバックスやマクドナルドのオーダーも同じなんですね。小規模なだけで。そう言えば近ごろは、ポテトはいかがですか?って言わなくなったのかな。

 オーダーが適正であるかないかは、自分にしか判断できません。欲望のままに間違った判断をしつづければ、とめどもなく太ることにもなりかねません。でも、とめどもなく太ったことによるデメリットは、誰もカバーしてくれません。どうオーダーしようと自由なのですから。

 そして、一時滞在者の常として飛躍して考えるなら、この消費システムは、自己をきちんとコントロールできる”強い”人間を作るために、淘汰のシステムとして機能しているのかもしれません。たぶんとても有効です。一方で、消費に”弱い”人間を生みつづけることに眼をつぶりさえすれば。

 飛躍ついでに言えば、モノだけでなく、いまや情報もそうなんでしょうね。これはアメリカも日本も変わらない。自由には責任が伴うとよく言いますが、むしろ、自由は力を要求するのです。なるほどね。